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向いてる向いてないというのは、誰が決めるのかわかりませんが自分で向いていないと結論を出した人間はもう向いていないのでしょうね。
TAKAMARUさんの言ったように犯罪って被害者も加害者も両方いてはじめて成立するから、どちらか片方だけしか見えていないというのは・・・マクロで見ると何にもしていないようなものかもしれません。
喧嘩じゃないんだから、法務教官を目指すものがどっちかの味方だなんて哀しいことを言わないでください
当事者は、被害者は寛大になれと言いません。だって被害者なんですから
その周りにいる第3者が考えていく問題じゃないでしょうか。
少年犯罪に手を染めた子をどうするかなんて、神様ではないのだから私らが殺したり生かしたりすることではないでしょう?
10人いれば、罪の意識を学ばせられる子はせいぜい2人か3人かもしれません。
それでも、信じてっていくしかないって吹っ切れる人が必要ではないんでしょうか
加害者の味方が法務教官とは思っていません。
味方なら、罪の意識に苦しむ前に殺してあげるべきでしょう
法務教官ていうのは(持論ですが)「生きる」という罰を背負わせる仕事ではないのでしょうか。罪を学び、「生きる」という罰を与える。
やから、つばささん(もうこないかもしれないけど)は、犯罪にたいする憤りを持っているなら、その方法や方向性を間違わずに法務教官になったらいい先生になるんじゃないかと期待して見てたんですが
今からでも遅くないなら、もっかい考えてみてほしい
犯罪にあったことのあるという人も同様です
その恐れや憤りを、違う方向に向けて(なくさなくてもいいから)個人レベルではなく、大きく社会としてとらえ、多くの少年達を処遇して欲しい
http://ivory.ap.teacup.com/mclachlan/
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